誰も知らなくていい話。

 

これは誰も知らない私だけの話。

「初めから、そんなもの無かった」

家族のように思い始めていた友人に、
初めから友だちとは思っていなかったと
言われた。
私たちの間に友情は初めから存在しなかった。
ただのわたしの思い過ごしだったのだ。

とても悲しかった。
たった数ヶ月だったけれど、
楽しかった日々は全て嘘で
幸せだと思っていたのは
私だけだったのだと
思うと何も信じられなくなった。

その頃の私は何に対しても虚で、
空いた時間を誰かと過ごしては
寂しさ孤独を紛らわせていた。

あることないことを言われ、
周りの人から軽蔑される。
これは何も芸能人に限った話ではない。

信じられるものは何もないと思っていた
当時の私には
声をかけてくれる人々の優しさにさえ
気がつくことができなかった。

そんな私はなんだかんだ
人間不信の癖に学校へは欠かさず行き、
皆勤賞で図書カードをもらうなど
していたのだが、途中から受験を言い訳に
必要な授業だけ選んでいくようになった。

それまでは毎日、息の詰まる思いだったが、
午前の途中からいく学校への道は
世界には誰もいない感じもして、悪くなかった。

そして高校2年か3年のとある日、
ひとりの人を見かけたことで
私の世界は大きく変わったのだった。

その人を見たのは、具合が悪かったか何かで
いつもは乗らない人が少ない時間の電車だった。

副都心線東急東横線と繋がってから、
そんなに時間が経ってない頃の話だ。

いつもと変わらず、気怠さを感じながら
乗っていた。イヤホンもつけず、携帯も触らず。

人が乗り込んできた。珍しかった。

こんな時間に乗るなんて不思議だなと思った。
ふと見上げるとそこには
赤茶色の髪をした、日本人とは思いがたい
とても綺麗な顔をした男性がいた。

穏やかで、どこか陰りもあるような
そんな表情を湛えた彼は何か
とても考え込んでいる様子だ。


一瞬で目を奪われた。今までこんなにも
かっこいいと思った顔に
出会ったことはなかった。

当時ハマっていた漫画の好きなキャラクターが
実在していたらこんな感じなのではないか。

こんなに綺麗なのだから、芸能人か何かに
違いない、

そう思った私は、電車を降りた後
SNSを使ってひたすら検索した。

今思えば、芸能人ならマスクの一つでも
していたはずだが
そんなことすら忘れるほどの衝撃だった。

モノクロに見えていた私の世界が
一瞬だけ彩りを取り戻したようだった。

結果、彼を見つけることをできなかったが、
その代わりに、この世のものとは思えない
もっとも美しい顔をしたヒトを知ることになる。


これは私がじんとくんを知るまでの話である。
赤茶色の髪をした彼を見かけることがなければ、
SNSを検索することもなかったし、
じんとくんを知らない人生だったと思う。

音楽の良さを知らないままだった。
前向きに生きる事すら、
忘れてしまっていたかもしれないし、
悔しさも挫折も何事も楽しむ力も
得られなかったことだろう。

じんとくんを知らない人生は
今となっては考えられない。

だから、あの日見かけた彼には感謝している。
とても勝手で一方的な想いだけれど、
あの日憂いを湛えた顔をしていた彼には
この先もずっと一生幸せでいて欲しいと
心の底から思う。

おめでとうございます。

 

実のところ、今では
電車でみかけたその彼は
とても有名でたいへん人気な美容師であり、
それを私が知るのはずっと後の話である。


2020年、6月。
私はその人が座ったと思われる席に座り、
同じように様々な事象へ思いを馳せることとなった。


まだ、彼にはちゃんと会ったことがない。
いつか行ってみてもいいとは思うが、
それは私が自信を持って、笑顔でこの話を
できる時にしたい。