じょはりの日。2020.06.11

【近況報告】

 


It's a beginning of my second quater journey

 


人生の第二クォーターの始まり!

 


みなさん、お元気ですか?

いかがお過ごしでしょうか。

 


私はたぶん今までいちばん

分かりづらくてとても重要な岐路に

立って居るのだろうなと思います。

 


でも、兎にも角にも

みなさんのおかけで

いまはとっても元気です。

 


人生100年時代と呼ばれる昨今、

人生を4分割するのならばもう既にその

4分の1の節目を迎えている、

そんなことに気が付いた下半期の話を少しだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24歳になってから、約3ヶ月が過ぎました。

 


COVID-19はこの世から消滅していないし、

私が24歳になったその日に

日本の偉大なるコメディアンは亡くなったという事実は

未だに悪い夢を見ているような錯覚に陥る。

 

 

 

そんな2020年下半期は

個人的にも心苦しく思う出来事があり、

 


こんな心持ちを

いつまでも続けてたまるものかと

断腸の思いで、もやもやしていた

全てを断ち切る為に

髪をばっさり切ってもらいました。

 


"憧れの人にカットしてもらう"

それは一見、何気ないコトのようで

実は物凄く勇気のいるものでした。

 


自分が素敵だなと思っていた人は

想像を遥かに超えていて、

周囲の人たちも皆さん本当に温かくて

むしろ現代社会の理想に

すら思えてしまうような、そんな場所。

 

 

 

私の当時の気持ちに沿う様な話も

したけれど、何よりも心に残ったのは

何か一生懸命に取り組んで

その先に見えるものがあるんじゃないか

という話。

 


私にはとても耳の痛い話だった。

 


そうだな、まだ人生ぜんぶまるで

中途半端だなって

何にも一生懸命になれていない、

言い訳ばっかりで何にも取り組めていない

今の自分が情けなかった。

 


目の前に居る人がとても輝いて見える故に。

 


次会うときはせめて何かに取り組んでいて

とても試行錯誤しているんだ、

そんな話ができたら良いなと思います。

 

 

 

 


知ってるようで知らない世界に飛び込む。

憧れの人に会って話す。

 


久々にわくわくしたし

ペンもまともに持てない程、緊張したけれど

 

 

 

じゃあいっそ可能な限り

何でもやってみようか、という

後押しをしてもらった気がする。 

 

 

 

 


この日から私は

いろんな世界を覗いてみてる

 


あの日、かけてもらった言葉のように

きっと今日の日を忘れない。

 

 

 

何かを始めるのに遅過ぎることはない、

自分で人にかけてはエールを送った言葉、

いまは自分の内側から反響して

身体中に溢れている感覚。

何事にも億劫だった私はもう居ない。

 

 

 

カットが終わって

足取りじゃなくて頭まで軽くなった

私はお勧めされたスタイリング剤を買いに

そのまま足でショップへ。

 


いつもなら真っ直ぐ帰るはずだけど、

全部いつもとは違う行動をしようと思った。

 


目的のものを購入したわたしは

なんとなく目に止まったカメラコーナーで

トイカメラを眺めていた。

声をかけられたから、しばらく質問事項を考えてその人に声を掛けてみた。

いつもなら絶対しないことだから。

 

 

 

わたしはカメラが好きだと思っていたけれど

知識には自信がなかった。

 


専門知識がほぼないことを伝えると

本当に初歩の初歩から教えてくれた。

 


話す姿は本当に楽しそうで

無知を恥ずかしいと感じさせない

悪意のひとつすら感じない

聞いていて、とても楽しかった。

 


なんとなく、気になったものを即決購入。

普段ならしない選択を全部してみる。

まるで気分はイエスマン!!

にしてもCCTVレンズ、めっちゃ難しい。笑

 


最後にSNSを交換して帰路へ。

(いつもなら絶対しないコト)

 

 

 

わたしがその日出会った人たちは

接客のプロでした。

 


対面を避けたくなる今の時期に

とても素敵な接客をする人たち

見習わないとな、と反省。

 


あと自分の価値観も考え方も

少しだけ分かってきた。

本当はどんなふうにしたいのか、

わからないようで実は最初から

口に出していたことにようやく気がつく。

 

 

 

とにもかくにも、

私にはまだまだ足りてないものが

本当に多いなと感じました。

 


あともう少しだけ、やってみよう

がんばろう。3年目。

 


そういう気持ち。

完全に塵と化していた想いを

新たに見つけて。

 

 

 

 


そして、帰宅後は予め約束していた

友人との電話。

 

 

 

“今年の上半期のテーマは人の言葉を借りて、自分を知っていくコト。

 

まさにそう名付けるのに

とても相応しい上半期だった"

 

 

 

ということを伝えると

彼女も同じように自分自身について

考えていたようで

 


長年のコンプレックスに向き合うコトを決意したとのことだった。

 


互いに話を聞いていて、思ったことは

まさにその感覚はジョハリの窓だね

という話。

 


自分からみた自分と、他人からみた自分

全く同じようでそうでない、

自分からみた自分だけが

本当の自分だと思っていたけれど

 


他人からみた自分もきっと

自分の一部なのだろうということ。

 

 

 

たとえそこに乖離があったとしても

私は良いと思っていて、

むしろ知らない自分を知る

良い契機にさえなり得る事だと捉えている。

 


そんな当たり前のようで大切なことを

気づいたその日を

私たちはじょはりの日と名付けることにした。

 


2020.06.11.

人生の契機。第2quarterのはじまり。

 


恥ずかしかろうとなんだろうと

この日に気付いたことを

人生振り返ったときに、良かったと

改めて感じられるように生きていきたい。

 

 

 

 


もしも叶ったら、の話を彼女は嬉しそうに言う。

"全米(全宇宙)が泣く"

 


凄くいい表現だと思った。

 


別に米じゃなくても良いんだろうけど、

ドラマチックに聞こえる方が

物語の主役っぽくていい。

 


助演じゃなくて主演。そんな彼女の物語を

近くで共に見れたら良いなと思う。

 


応援してる、共に頑張ろう。

 


もちろん、わたしは私の道を歩みます。

 


目指すもの、好きなもの

その道がたとえ、違えども。

 

 

 

わたしの小さな頃の夢は

ごく普通に幸せに暮らすこと。

 


どれだけその普通とやらが

難しいことなのか

いまの私にはよくわかる。

 


そしてそんな今のわたしの夢のひとつは

100歳以上まで生きて孫とかに

囲まれて

「嗚呼、わたしは世界でいちばん幸せな女だな」って思って大往生すること。

 


たぶんこれは高校生くらいから

ずっと言ってる夢。

 


この夢を話すとき大体反応は2通りで、

しょーもなという感じの反応をみせる人と

とっても素敵って言ってくれる人

 


私の大事な人たちはみんな後者。

 


辛いときも楽しいときも一緒に

居てくれる優しいひとたち。

 


側に居られなくても繋がってるひとたち。

 


いま、どれだけ多くのひとたちに

恵まれていることか。

 


みんな、いつもほんとうにありがとう。

この記事を読んでくれているか

どうかなんてわたしはどっちでも良くて

ただ偶然見かけるような友人がいて、

 


日頃の優しさへの感謝の気持ちが

少しでも伝わってくれたら嬉しいなと思う。

 

 

 

 


さて、明日から下半期に突入。

わたしは一体どこまで頑張れるだろうか。

 


何者になろうとかそんなんじゃなくて、

 


好きなものをちゃんと好きと言える

 


自分の大事な人たちを大切に

そして自分も大切にそんな風に在りたい。

 

 

 

そして、1日でも早く

元どおりにいろんな世界を相互に

ダイレクトに知ることができる

そんな日常が戻ってきますように。

 

 

 

最後まで読んでくれたひと、ありがとう。

会いたくなったらいつでも連絡ください